私は頭がデカい。
どれくらいデカいかというと、「フリーサイズ」と銘打ってあるベースボールキャップの一番外側の穴までサイズを広げた状態で、かろうじてキャップを被ることができるくらい特大である。
そんな私が、もともと頭の小さい白人が圧倒的多数を占めるイギリス社会で不自由をしないはずがない。
以前の記事で書いたとおり、私はイギリスのパブリックスクールで必修となっているCCFという軍隊教育の中で、最も過酷で最もかっこいいと言われ、尊敬と憧れを集める海兵隊に志願した。
海兵隊は希望すれば即入隊できるものではなく、3つある試験すべてに合格しなければ入隊は認められない。
入隊が認められるまでは、海兵隊員の証である紺色のベレーは支給されず、軍服と同じ迷彩柄のお粗末なキャップを被ることになる。
このお粗末なキャップがクセモノであった。
最初に断っておくが、キャップに罪はない。
問題は私の頭のデカさであった。
結論を先に言うと、私の特大サイズの頭に、このお粗末なキャップが合わなかったのである。
まず、キャップの頭囲の長さが足りなくてめちゃくちゃ頭が窮屈だし、そのうえ深さが足りないので、しっかり被れない。
例えるなら、小学校の体育で使う紅白帽を無理やり被っているようなイメージである。
同時期に入隊志願した同級生の少年は、同じキャップを被ってそれなりにサマになっていたが、私はサイズの合わないキャップを無理やりに被って(…というよりどちらかと言うとキャップに頭を無理やり詰め込んでいるようなものだったが)、もはやイギリス海兵隊ではなく、さながら赤軍兵士であった。
おまけに、しっかりとキャップを被れないため、訓練中にしょっちゅう頭からずり落ちてものすごく不自由だったし、一応被れている時もあまりに窮屈で、如意棒に頭を締め付けられている孫悟空のように頭が痛かった。
このサイズの合わないキャップの件で最も屈辱的だったのは、一つ下の学年の生徒たちがどの部隊に入隊するのかを決めるにあたって開催された「見学会」の時だった。
我が母校では、日本でいうところの中学2年生に上がる段階でCCF(軍事訓練)が始まるが、入隊時期が近付くと陸軍・海軍・空軍・海兵隊のいずれに入隊するかを決めなくてはならない。
その前段階として、それぞれの部隊を見学して希望先を決めるのであるが、その見学会の時、私は見られる側だった。
ほれぼれするような、一糸乱れぬ行進で颯爽と登場したみんなの憧れ、海兵隊。
その中に、一人だけお粗末なキャップを巨大な頭に乗せたアジア人の赤軍兵士がいたら、誰だって驚くだろう。
下級生たちが口々に
「おい、あれを見ろよ」
とか言いながら忍び笑いをするのが聞こえてきて、私は穴があったら入りたい気分であった。
あるいは「うるせえこの野郎!」と怒鳴るなり、おどけた表情で舌をペロッと出したりして、照れ隠しの一つもしたくなるが、軍隊だから当然、そんな勝手なことをしたら後でどんな恐ろしい仕打ちが待っているか知れない。
話は少し脇道に逸れるが、軍隊の集団行動の中では勝手な行動は厳禁である。
それはつまり、命令がなければ動いてはならないということである。
そして動いてはならない、というのは、表情筋も含めたあらゆる筋肉を動かしてはならないということである(じゃあ心臓はどうなんだ、とかいうイジワルな指摘は受け付けません)。
眼だけ動かして勝手な方向を見ることも許されない。
そんなふうであるから、基本的に兵士は無表情でいることを求められる。
早い話が、上官の命令は絶対であり、それは兵士一人一人の身体の隅々にまで及ぶ。
それを叩き込むために、いささかおかしな訓練をさせられた。
集団で隊列を組んでの行進、停止、方向転換、敬礼などの基本的な集団行動の訓練は、武器の扱い方と並んで最も頻繁に行われる訓練である。
その中で、直立不動で一切動いてはならないという一見簡単そうな命令が出された。
いや、正確に言うなら、何も命令が出されない状態が続いた。
そもそも軍隊においては、命令が出るまでは直立不動で一切動いてはならないのである。
だから、命令がないというのは、つまりは「動くな」という命令と同義である。
意外なことに、同じ姿勢で長時間立っているというのは、予想外に過酷なことである。
途中から、とにかく腰が痛くなってくる。
そしてあろうことか、いきなり上級生たちがわざと頭にボールをぶつけてきたりする。
あるいは、目の前に立って、至近距離からものすごく大きな「ゲップ」を吐きかけてくる。
はたまた、卑猥なジョークやオナラで笑わせようとしてくる。
それに屈して少しでも表情や目線を動かそうものなら、その場で大目玉を食らうのである。
こうした一見ユニークな訓練で、命令以外では絶対に動かない、という軍隊の根幹をなす基本原理が叩き込まれるのであった。
話を元に戻そう。
とにかく、私は小さすぎるキャップを被らなければならないというだけで、CCFが嫌いになりそうな勢いであった。
オッサンとなった今では気にもならないが、当時は多感な思春期真っ只中の少年だったから、みんなが私の頭のデカさに注目しているような気がした。
お粗末でサイズの小さすぎるキャップとおさらばするには、試験に受かって海兵隊に正式に入隊するか、それをあきらめて別の部隊に行くか、二つに一つしかない。
そして「サンクコスト」の考え方から、今までに耐えてきた過酷な訓練や屈辱的な小さいキャップとの日々を無駄にしたくないという思いで、私は何としても海兵隊に入隊してやるという決意を固めたのだった。
なお後日談ではあるが、試験に合格して正式に入隊が決まり、夢にまで見た海兵隊のベレー帽を手に入れ、小さすぎるキャップを返却しに行くとき、このキャップと過ごした過酷な訓練の日々を思い出して少しだけ別れ難い気持ちになったのはここだけの秘密である。
そして夢にまで見た海兵隊のベレー帽が、何となく予想はしていたけどやっぱり小さいサイズだったという絶望的に救いようのない展開は、当時の私はまだ知る由もない。
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