イギリス海兵隊の日々 ~栄冠をつかめ!入隊試験(後篇)~

CCF

ご存じの方も多いかとは思うが、イギリスは年がら年中どんよりとした曇り空に覆われている。

 

 

一年のほとんどの時期、今にも雨が降り出しそうな雨雲に国土が覆われ、実際に頻繁に小雨が降る。

熱帯地方のスコールのようなドシャ降りではなく、時おり思い出したようにパラパラと申し訳程度に降る、煮え切らない男のメソメソした涙ような、気の抜けた降り方である。

昼間から周囲は薄暗く、冬ともなると夕方の4時を過ぎると早くも街灯がぽつぽつと点灯し始める。薄暗くジメジメとした陰鬱な気候の国、それが大英帝国である。

 

そんなイギリスでも、抜けるような青空と照り付ける太陽の季節が、短いながらも訪れる。

5月に入ると晴天に恵まれる日が徐々に増え始め、6月、7月ともなると毎日のように太陽の光を全身に浴びることができる。

 

私の推測に過ぎないのだが、欧州の女性は何となく肌の露出が多い気がするが、これはただでさえ少ない日光をできるだけ多く浴びるための方策なのではないだろうか。

その証拠に、お世辞にも均整が取れているとは言い難いボディーラインのおばちゃん(おばあちゃん?)でも、恥ずかしげもなく肩を出し、できるだけ日光に晒される面積が増えるように肌を露出している。

「よくもその体型で」と思うのは我々の勝手な感想で、本人にしてみれば極めて切実なのかもしれない。

それくらい、日光は貴重な資源なのである。

 

そして8月に入ると、短い夏の終わりを告げる秋風が吹き始め、9月になれば見渡す限りの田園地帯は黄金色に染まり始め、いつの間にか日が短くなる。

 

 

 

とまぁ、そんな感じで貴重な晴天に恵まれる6月頃に、海兵隊の最終試験である「6マイラー」は行われる。

重い荷物を背負って10キロの山道を走破する、入隊試験の最終関門である。ここまで順調にコマを進めてきた体力自慢たちも、6マイラーで脱落することが多いという、文字通りのラスボスである。

 

6マイラーのために、私は週末や放課後の時間を利用して走り込みを行ってきたが、実際に10キロを走り切るのは当時の自分にとってかなりの難事だった。

広大な学校の校庭を1周してもせいぜい3キロくらいにしかならないから、3週以上走らないと予行演習にはならない。しかも、もともと文弱の徒であった私にとって、黙々と10キロの道のりを走り続けるのは苦行以外の何者でもなかった。

 

とはいえ、6月の抜けるような青空の下、ポカポカした陽気の中で芝生の匂いを嗅ぎながらジョギングするのはなかなか気持ちが良い。

週末に家族で出かけたりするときは、行く先々でランニングウェアに着替えて、知らない土地を走るのが小さな楽しみになっていた。

 

学校の校庭を自主練で走り続ける私の姿はたびたび目撃されていたらしく、地理の先生に

 

「この前も走っていたな。グッジョブ!」

 

と言われ、何となく気恥ずかしくなったのを覚えている。

ちなみにこの地理の先生は、イギリスの名門ケンブリッジ大学を卒業した秀才でありながら、長期休暇を取って本物のイギリス海兵隊に入隊して訓練を受けてきたような、文武両道の本物のエリートだった。

 

 

 

万全の準備を整えたとは言えないまでも、何回か10キロを完走した経験を引っ提げて、私は6マイラーに臨むことになった。

6マイラーの試験は例年、本格的な野戦訓練を行う時にわざわざ出張していく州外の広大な国立公園のような場所で行われるのだが、私が受験した年はなんやかんやの理由でそこには行かず、代わりに学校の敷地を出てしばらく行ったところにある、これまた広大な国立公園のような森で行われた。

 

試験に臨むのは、一つ下の学年の志願者たち10名弱と、私と同じ学年では私ともう一人、後にプロのラグビー選手になる少年である。

通常は中学1年生の時に試験を受けて、中学2年生に上がる段階では正式に入隊した状態になるのだが、中学2年生で転入してきた私たち二人は、一つ下の学年と一緒に試験を受けることになったわけである。

 

結果として1年近く、私たちは仮入隊という形で訓練を受けてきたことになる。1年近く、海兵隊員として過酷な訓練に耐えてきたのだから、無試験で入隊させてくれてもいいようなものだが、そこはやはりきちんと試験を突破しないと格好がつかないし、他にも示しがつかない。

というか、ここで不合格になったら、辛い訓練に耐え続けたこの1年は何だったのだ!?ということになるので、意地でも受からねばならぬ。

私の場合、以前の記事で書いたような小さすぎるキャップとおさらばするためにも、何としてでも6マイルを走り切らねばならぬ!

 

 

 

6月のその日は、例によって快晴に恵まれた初夏の陽気だった。

私たち入隊志願者に加えて、試験監督(?)の先生が2名と、上級生が数名、同級生の隊員が数名、一緒に走ることになった。

ここまできたら周囲から特にアドバイスもなく、「Good Luck」とだけ言われて送り出される。

天気が良かったせいもあってか、私はテンションも適度に高く、ちょっとその辺まで走りに行くくらいのリラックスした状態で試験に臨んだ。実際、青空の下で森の中の道を走るのは気持ちが良かった。

 

しかし、あくまでも試験である。重い荷物とライフルを交代で背負いながら、1時間以内に10キロを走り切らねばならない。

起伏の激しい森の中を、足元に気を使いながら走り続けるのは、想像以上に体力を消耗した。

 

しかし、今までの自主練とは明らかに違っていることがあった。

黙々と一人で走るのではなく、仲間と一緒に励まし合いながら、時には冗談を言い合いながら走っているのだ。ランナーズハイも相まっていたのか、疲れを全く感じなかった。

 

それに、1年近く海兵隊と行動を共にしたこともあって、想像以上に体力が付いていたらしい。

以前だったら息が上がってくるであろう時間走り続けても、苦しくない。

結果として、自分の成長を感じながら走る6マイラーだったと思う。

この森は訓練で何度も訪れることになる

 

夕刻、6マイルを走り終えて学校の校庭に戻ってくると、ゴールラインでは他の海兵隊員たちが待っていた。

温かい拍手の中、脱落者を一人も出すことなく、私たちは時間内でゴールした。全員、合格である。

ゴールの瞬間、私は両手を高く突き上げ、思わず雄叫びを上げた。

 

 

 

前の記事でも書いたが、私は「おまけ」としてこの学校に入学させてもらったようなものだった。姉が優秀だったおかげで、お情けで入学を許されたようなものだ。

 

そんな引け目があったからこそ、何か一つでも足跡を残したい思いで、過酷な訓練の日々に耐え、海兵隊に入ろうと思った。

何となく流されて生きていた自分が、初めて自分なりの目標を立て、それを成し遂げることができた。

目標を立てた時点で、私は10キロはおろか、5キロすら走れなかったであろうひ弱な少年だったが、終わってみれば腹筋は割れ、胸板もだいぶ厚くなっていた。

 

文字通り、私は「変わる」ことができたのである。

 

この経験は、中学2年生の少年だった私にとってこの上なく貴重だったのみならず、今となっても私の中で密かな誇りとして生き続けている。

努力さえすれば何でもできるなどという青臭いことは言わないが、努力を重ねた者だけが到達できる地平があることは身を以て分かった。

 

 

 

隊長の上級生の前に整列すると、隊長は合格者の一人ひとりに

 

「よくやった。ようこそ海兵隊へ」

 

と声をかけ、握手してくれた。これで正式に、私たちは海兵隊に迎え入れられたのである。

 

 

家に帰り、体についた汚れを風呂に入って落としている最中も、私は高揚感に包まれていた。

中二病と言われればそれまでかもしれないが、私はこの先何でもできそうな万能感に溢れていた。

少なくとも、何かを成し遂げた後の達成感に浸るのは悪いことではあるまい。

 

数日後、私は学校の中にある工廠、というか武器庫に行き、海兵隊のベレー帽を受け取った。

同時に、今までお世話になった迷彩柄のキャップを返上した。ついでに、1年にわたる厳しい訓練でボロボロになった迷彩服の上下も交換してもらい、新しい軍服を手に入れた。

 

母が面白がって撮ったもの。自宅の庭でパシャリ!

 

 

ここに、世にも珍しい、日本人の英国海兵隊員が誕生したのである。

コメント

  1. ユサ より:

    はじめまして。コメント失礼します。
    創作活動でパブリックスクールについて調べ物をするうちにCCFのことを知り、日本語の情報を探していたところ、こちらのブログに辿り着きました。
    日本の私立校には無い制度で大変興味深く拝見しました。ブログではクスリと笑える書き方をされてますが、内容はかなりハードなのも同時に伝わってきました。

    ひとつ質問なのですが、無事に海兵隊へ入隊、となった後は生徒たちは何をするのでしょうか?
    他のサイトでは有事の際に民間人の誘導等を行える、とありましたが、それ以外の情報が掴めずいます。
    個人的な興味ですいません。お教えいただけますと幸いです。

    • this-face より:

      コメントに気付かず返信が大変遅れてしまい申し訳ありません!
      私が経験した範囲でのお答えになりますが、入隊後も基本的には軍事教練を受け続ける生活に変わりはありませんでした。
      有事の際に民間人の誘導等を行える、というのは初めて聞きましたが、私の滞在中に有事らしい有事は起こらなかったので、たまたま経験しなかっただけかもしれません。
      その他には、国を挙げてのチャリティーイベントが開催される際には積極的に参加したり、体力自慢の海兵隊員が有志を募って夜通し走り続け、走破した距離に応じて募金額が増えるチャリティーを主催することもありました。
      また、イギリスでは11月に全国で大規模な戦没者の追悼式典が開催されるのですが、その準備や会場運営に学校のCCFとして駆り出されることもありました。
      CCFは軍事教練とともに国民への奉仕が活動目的の中心に据えられているので、教練を受けるという受動的な活動だけでなく、地域社会に貢献するという積極的な姿勢も当然に求められていたように思います。

      • ユサ より:

        コメントご返信いただきましてありがとうございます。
        入隊後も訓練が続くとなると、もうトレーニングが生活の一部になりそうですね。
        地域社会への貢献とのことで、式典の会場運営やチャリティーへの参加などはまさにノブレスオブリージュの精神を感じます。
        さらに質問しまって申し訳ないのですが、在学中に入隊して、ほとんどの生徒は軍への道に進まず大学進学かと思うのですが、学校卒業後はどういう扱いとなるのでしょうか。
        ずっと軍に籍があるのか、除隊または卒業?のようなものがあるのでしょうか
        お手隙の際で構いませんのでお教えいただけると幸いです。

        • this-face より:

          CCFは正式な軍隊ではなく、あくまでも学校組織内のものなので、卒業や転校などで学校から離れればそのまま登録が抹消されます。
          CCFに所属したことがあるだけだと、軍に在籍した扱いにはならないので、例えば予備役のように有事の際に応召する義務もありません。
          卒業後に軍の道に進む人は、その時点で初めて「本物の」軍に籍を置くことになります。
          ですので、CCFと正式な英国軍は全くの別物と認識する方が間違いはないと思います。
          …とはいえCCFは国防省の予算で運営されているので、全くの別物とは言い切れないのが難しいところですが(汗)

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