英国パブリックスクールの生活 ~音楽~

イギリス

 

私にとって音楽の授業というのは、歌を歌ってリコーダーを吹いて、たまにピアニカを演奏する、それ以外に何かをした記憶がほとんどなく、「音楽」というよりも「歌とリコーダー、時々ピアニカ」と呼んだ方が名称として正確なのではないかと思っていた。

 

少なくとも、日本の小・中学校で受けた「音楽」の授業の印象はそうだった。

 

そんなだったから、イギリスのパブリックスクールの選択科目で音楽を選択した私は、本格的な音楽教育を初めて経験し、それに付いていくために、とんでもない苦労をすることになった。

 

 

 

イギリスで本場のパブリックスクールの教育を受けるには圧倒的に英語力が不足していた私にとって、英語ができなくても何とかなりそうな科目を選ぶことが重要だったことは前の記事で詳しく書いた。

 

その流れの中で、日本での「音楽」の授業の経験から、英語ができなくてもリコーダーを吹いて歌を歌えば何とかなりそうだったので、私は安易に選択科目として音楽を選んでしまった。

 

結果的に、選択科目の中で一番苦労したのが音楽だったかもしれないくらい、授業についていくのに苦労することになる。

 

というか、今考えてみても、本来音楽というのは人類の「究極の学問」ではないかと思うくらい、高度で難解で深淵なものではないだろうか。

 

ちなみに、イギリスの音楽の授業で、リコーダーを吹いたり歌を歌ったりしたことは一度もなかった。

 

 

 

初日に音楽室に行くと、生徒は私を含めて9人しかいなかった。

 

他の科目は20人くらいの規模のものが多かったから、少人数と言っていいと思う。

 

音楽棟は他の教科の部屋から完全に独立していて、さながら陸の孤島のような状態だった。

 

教室は両側から外の光が差し込む明るい部屋で、教室の両脇にはずらりとキーボードが並んでいる。

 

日本の音楽室にあったような有名な作曲家の肖像画みたいなものは飾っておらず、部屋の中は割とスッキリしていた。

 

先生はいかにもイギリス紳士を気取ってそうな、少し神経質な感じのするメガネの男性である。

 

初日に何をしたかはあまり覚えていないが、授業の開始早々に作曲させられて、それを一人ずつ発表させられたのは覚えている。

 

 

 

私がイギリスで受けた音楽の授業は、

 

  • 音楽理論
  • 作曲法
  • 演奏

 

の三本柱で構成されていた。

 

まず、生徒はそれぞれ得意な楽器が一つ以上あることが前提となる。

 

授業で音楽理論と作曲を叩き込まれるのと並行して、定期的に一人ずつ楽器の演奏の発表をさせられる。しかも、大層なことに発表会の場所は毎回学校のチャペルである。

 

ひとりずつ演壇に上がって、ものすごく音がよく響くチャペルで演奏させられるのは、今思い出しても胃がキリキリと痛む経験だった。

 

ただ、慣れてくると、自分の奏でる楽器の音が空間を満たし、自分の身体さえも振るわせる「音との一体感」を経験することができる。ある種のエクスタシーである。

 

そんなわけで、まさに理論と実践の両輪、どちらが欠けても音楽教育は成立しないのである。

 

 

 

さて、開始早々、私は問題にぶち当たることになる。

 

渡英当初、私には得意な楽器がなかったのである。

 

リコーダーは吹いたことがあるし、ピアニカも演奏はできるけど、音楽教育の荒波を共に渡っていく相棒とするにはあまりにも頼りなく思えた。

 

音楽の授業とは別に、放課後の活動としてチェロを習うことは決まっていたが、なんせ習い始めたばかりだから、とてもじゃないが皆の前で演奏なんかできるレベルじゃない。

 

結局、最初の発表会で私は何となくキーボードを弾いてお茶を濁してその場を切り抜けたが、かなり恥ずかしかったのを覚えている。

 

それに比べて他の生徒たちの楽器の上手さと言ったら…

 

紳士・淑女の国で、しかも500年の歴史を持つ由緒正しきパブリックスクールに通う良家の子女だから、楽器の一つや二つ、演奏できて当たり前なのである。

 

例えば日本の政財界の有名人でピアノが弾けるなんて言うと、かなり珍しいタイプとしてもてはやされたりするが、イギリスを含めた欧州のエリートに関して言えば、むしろ楽器も弾けない人の方が少ないのではないか。

 

私の寮で学年のチューターを務めていた数学の先生は、背が高くてずんぐりした体型のクマみたいなおじさんだったが、学校行事として開催された音楽祭でサラリとピアノを弾いていてビックリした記憶がある。

 

そうやってサラリと色んなことをやってのけるのが、欧州型エリートなのだろう。

 

 

 

私の学年の音楽クラスは私を含めて9人いたが、それぞれの得意な楽器は、ピアノ2名、バイオリン1名、フルート1名、トランペット1名、クラリネット1名、エレキギター1名、ソプラノ歌手1名、そして私が始めたてのチェロ1名、といった具合だった。

 

私以外、みんな中級~上級の腕前で、人前に出しても恥ずかしくないレベルであった。

 

ちなみに、この中のフルートを弾く女の子に後々私は心奪われていくのだが、それはまた別の機会に書くことにしよう。

 

 

 

そんな感じで、何か一つくらいは楽器が弾けて当たり前な環境で、私はスタートから苦労することになる。

 

そもそも楽譜だって満足に読めないのである。いや、読めるには読めるが、順番に音符を追っていかないと、初見では音が出せないのである。

 

英語を読むのも苦労するのに、まさか楽譜を読むので苦労するとは思わなかった。

 

要するに、選択科目の音楽は、私なんかが選んで大丈夫な代物ではなかったのである。

 

 

 

とはいえ、選んでしまったからには引き返すことはできない。

 

楽器は一朝一夕に上手くなるものではないから、そこはもう開き直って地道に練習していくしかない。

 

それはそれでいいのだが、問題は楽器の演奏だけではなかった。

 

日本の学校では一度も習ったことがない、「音楽理論」の勉強をしなければならないのである。

 

GCSEの音楽では、音楽理論全般を勉強する総論的な分野と、時代ごと、地域ごとの音楽性を学び、それを作曲という形で再現する各論的な分野があって、どちらも要所要所で各自が実際にキーボードを演奏しながら理解を深めていく。

 

理論分野は、まずは座学で先生の解説を聞きながら譜面上でそれを確認していく作業がメインである。

 

曲全体を均等な周期で区切り、緻密な理論のもと、一定の規則に従って音を割り振っていく作業は、まるで数学の問題を解いているような感覚である。

 

しかし、数学と違って音楽は机上の理論だけでは成立しない。

 

理論で築き上げた作品を、実際に音を奏でる演奏という作業を通して、初めて音楽が成立するのである。

 

理論と実践、そのどちらが欠けても成立しない。

 

理論を徹底的に習得した後、その理論を道具に、実際の構造物を作り上げる。

 

そういう観点では、音楽は工学全般や建築学と同じ分類の学問ではないかと感じる。

 

 

 

はっきり言って、難しい。

 

その難しい音楽理論を、大してできもしない英語を使って勉強しなければならないのである。

 

海軍と間違えて海兵隊に入ってしまったのは、まぁまだ笑って済ませられるレベルである。

 

しかし、「歌とリコーダー」の延長線上にあると思って、選択科目として音楽を選んでしまったのは、ちょっと笑えないレベルの、深刻な問題だった。

 

このままでは、2年後のGCSEの本番で笑えない結果になってしまうのではないかと本気で危惧していたのだが、この選択は意外な結末を迎えることになる。

 

それについては、また追々書いていくことにしよう。

 

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