イギリス海兵隊の日々 ~栄冠をつかめ!入隊試験(前篇)~

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イギリス海兵隊の日々 ~大きすぎる頭と小さすぎるキャップ~

 

…という前の記事で書いたとおり、私の頭はデカい。

海兵隊に正式入隊するまでの日々は、仮に支給された迷彩柄のキャップをデカ頭に乗せて訓練に励む日々であった。

そしてそれらの日々は、デカ頭と小さすぎるキャップという珍妙な組み合わせゆえに、周囲からの好奇の目に晒され続ける屈辱の日々でもあった。

体力的なキツさよりも、周囲から見られている(と本人は思っている)故の羞恥心の方が、もしかしたら辛かったかもしれない。

何せ、当時の私は自意識過剰で思春期真っ只中の、多感な中学2年生だったのである。

 

そんなわけで解決策は、海兵隊に正式入隊して、栄えある紺色のベレー帽をゲットすることだった。

海兵隊の入隊試験は、

  1. 筋力テスト
  2. 持久力テスト
  3. 10km走

の3段階に分かれていて、数週間にわたって行われる。

それぞれのテスト結果が点数化され、総合点で合否が決まる仕組みであった。

総合点で合否が決まるといいつつ、一つでも基準に満たない分野があると不合格になるので、どれか一つの分野で高得点を取って逃げ切る作戦は取れない。

私は筋力テストはそこそこ自信があったが、そもそも10kmという距離を走り切った経験が当時はほとんどなかった。

そこで、とりあえず休みの日などに走り込みを行い、徐々に距離を延ばしていって、10kmを走り切ることに慣れていった。

私は、イギリスに来る前は特段スポーツに力を入れていたわけでもなく、走ることも嫌いであったが、何か一つ、今いる場所で足跡を残したいという想いに突き動かされていた。

 

思い返せば、この学校に入学する際、私はそれほど歓迎された存在ではなかった。

イギリスに来る前、渡英後に入学する学校を決めるにあたって色々な学校の入学試験を受けさせられたのだが、私の点数は総じて芳しくなかった。

英語の能力が、イギリスの現地校で勉強するレベルに到底届いていなかったのである。

一方、同じ学校に私と一緒の時期に転入した姉は、それなりに良い点数を獲得したようで、すんなりと入学を認められた。

ただ、姉だけ入学させて私だけを落とすのはあまりに不憫だと思ったのか、学校側のお情けで「入学前の半年間、語学学校で英語の勉強をする」という条件付きで私の入学も認められたのである。

要するに、

「姉ちゃんの方は欲しいけど、お前はいらねえよ。まぁ、英語の特訓をするっていうなら、仕方ないから拾ってやるよ」

ということだったのである。

私は完全に「おまけ」だったのだ。

 

そんな経緯があったので、何か一つ、みんなから一目置かれるような実績を作って、やっぱりお前を入学させて良かったと思わせたい。

もっと言うと、学校側を見返してやりたいと思っていたのだった。

お情けで入学させてもらっておいて「見返す」とは何とも不遜な態度だが、何はともあれ自分は「おまけ」なんかじゃない、という想いが自分の中にあったのは確かだろうと思う。

 

 

 

そんな個人的なルサンチマンを抱えて臨んだ入隊試験の第1関門、筋力テスト。

同時期に海兵隊に志願した同級生の少年と、お互い最後まで諦めないことを誓い合って、他の海兵隊員たちから激励の言葉をかけられながら、試験会場となる訓練場に向かう。

ちなみにその少年は、後にプロのラグビー選手になったような、バリバリのスポーツ万能少年であった。

そう考えると、当時の自分はずいぶんと分不相応な挑戦をしたものである。

 

筋力テストはシンプルに、制限時間内で

  • 腕立て伏せ
  • 腹筋
  • 背筋
  • スクワット
  • 懸垂

を何回こなせるかを記録し、点数化するというものである。

当時、私は日ごろから筋トレをこなして地道に準備を進めていたので、おおむね高得点で筋力テストは通過できた。

ただ、懸垂だけが盲点だった。

そもそも、自宅トレーニングで懸垂を行うのはなかなか難しいと思う。

家の中に、ぶら下がれる場所が無いのである。

というわけで、懸垂だけはぶっつけ本番だった。

試験を監督する上級生から、懸垂は完全に腕を伸ばした状態から懸垂バーの上までアゴを持ってこないと1回としてカウントしないという申し渡しがあった。

やってみれば分かるが、腕を完全に伸ばした状態からの懸垂はなかなかにきつい。

ましてや、ぶっつけ本番で、その条件で回数をこなすのは「無理ゲー」に近い。

私の結果は「2回」という、なんとも情けないものだった。

ちなみに、言い訳じみているかもしれないが、その時は本来の力が出せていなかったと思う。

想像してみてほしい。

衆人環視の中で、歯を食いしばって変顔になりながら、顔を真っ赤にして必死こいて懸垂ができるだろうか?

しかも、その時は何か知らんけど、ヒマを持て余した上級生の陸軍所属の女子高生が、終始、試験監督の上級生と一緒に行動していて、我々の神聖なる入隊試験を物見遊山で眺めていたのである。

女子高生の前で変顔になりながら必死こいて懸垂する気になんかなれぬ!

懸垂は、腕を伸ばした状態から!

 

 

筋力テストを無事に通過して、1週間後。

お次は持久力テストである。

これには「RMFA」という略称が付けられていて、正式には

 

Royal Marines Fitness Assessment

 

というらしい。

単純な持久走とは少し違って、筋トレっぽいものをこなしながら、制限時間内に持久走を走り切る、というものであった。

この試験の最中に、私はアクシデントに見舞われた。

結論から言うと、走っている最中に私は意識を失って倒れたのである。

 

その日、私は昼食を取ることができなかった。

当時習っていた楽器の先生の都合で、昼休みの時間帯にしかレッスンができなかったため、ランチ返上でレッスンを受けていたのである。

RMFAの試験はそこまでキツいものではないと海兵隊の同級生から聞いていたため、私は昼飯抜きでもなんとかなるだろうと高を括っていた。

とまぁ、要するに試験をナメてかかったわけだが、海兵隊もそこまで甘くはなかった。

 

腕立て伏せや腹筋・背筋、「バーピー」と呼ばれるトレーニングを次々にこなしながら走っていると、いつもよりずっと早く息が上がってきた。

いやいや、こんなところで音を上げるわけにはいかない。

今までの過酷なトレーニングの日々が水の泡になってしまう。

自分の身体に鞭打って走り続けていると、心臓の鼓動に合わせるように、リズミカルに視界が白くなってきた。

心なしか、目の前の風景が遠ざかっていくように感じられる。

いや…遠ざかっているのは私の意識の方だ。

 

そして気付いた時には、保健室で横になっていた。

傍らには、保健師のマダムと、海兵隊の上級生2人、そして何故か、空軍に所属する同じ寮の同級生のティム君(仮名)がいた。

なんでも、ティム君はKOされた私が運ばれていくのを見かけて、慌てて付いて来てくれたのだという。

当然、ティム君も空軍の訓練の最中であったはずなのだが、どうやって抜け出してきたのだろう。

この時、とりあえず何か私のお腹に入れたほうが良いということで、イギリスでは有名な「MARS BAR」というチョコバーが何処からともなく運ばれてきた。

このマーズバーというお菓子、とんでもなく甘い。

スニッカーズみたいなものなのだが、チョココーティングの内側がキャラメルとヌガーとその他なんだかよく分からないネチョネチョの砂糖の塊で充満しているのである。

興味があればGoogleで調べてみてほしい。

イギリスと言えばこれ!

とにかく、胸やけがするほどに、口の中がひん曲がるほどに、激甘なのである。

空きっ腹にこのような代物を詰め込むのは気が引けた。

できればこれじゃなくてサンドイッチみたいなものが食べたいと言いたいが、この状況でそんなこと言えるはずもなく、これを食べないとみんなが心配すると思ったので、無理やりに口に詰め込んだ。

食べながら、あぁ、俺の海兵隊への挑戦は終わったのだなと、私は奇妙な安堵感に包まれていた。

 

事実、海兵隊の訓練はとんでもなく辛かったし、何度やめようと思ったか知れない。

毎週のように、訓練が終わると吐き気がするほど辛くて、絶対やめてやると思いつつ、あと1回だけ頑張ってみようかなと、ギリギリのところで何とか続けてきたような状態だった。

これで試験に通ったところで、この先さらに辛い訓練の日々が待っているだけではないか。

その点、試験の最中に倒れて失格になるなら、潔く諦めることができる。

 

ところが、どういうわけか事は私の思った方向には進まず、これまで海兵隊員としておよそ半年間にわたって厳しい訓練に耐えてきたのだから、もう一度チャンスをやるということで、私は再試験を受けることになってしまったのである。

マーズバーを食べて、少しずつ全身に血液が回り始めると、次第に意識がはっきりしてきた。

すると、海兵隊の上級生たちは

「お前の実力がこんなものじゃないのは、今まで一緒に訓練してきた俺たちがよく知っている。次はきちんと準備して、絶対に合格しような」

と、再試験を受けるのが当然というように口々に励ましてくれた。

この言葉で、諦めかけていた私の心に、もう一度炎が灯った。

 

そうだ、私はこんなところで負けるわけにはいかない。

もう一度チャンスが与えられるなら、必ずそれを掴みにいかなければならない。

海兵隊員たちは、私を仲間として迎え入れようとしてくれている。

ならば私が、それに応えなければいけない。

戦場であれば、倒れた兵士は敵に撃たれて一巻の終わりだが、幸い私は戦場にいるわけではない。

手垢の付いた言い回しをするなら、戦場は自分自身の中にあるのだ。

 

そんな感じで、もう一度試験にチャレンジさせてもらえることになったわけであるが、しっかりランチを食べて万全の状態で臨んだ一週間後の再試験は何事も無かったようにあっさり通過し、私はとうとう最終試験に臨むことになった。

1回目の試験で私が気絶したことはいつの間にか学校中に知れ渡っていて、週明けに寮に行くと、寮生たちが

「気絶したって聞いたけど、大丈夫だったか?」

と心配してくれて、ありがたいやら恥ずかしいやらだったが、おかげでその後いろいろな人が私の応援団になってくれた。

あまり言葉を交わしたことのない他の寮の同級生までもが、

「海兵隊の試験頑張って!」

と励ましてくれたりした。

 

厳しい試験を、涼しい顔で難なく受かるのは、格好良くて憧れる。

でも、傷付き倒れながらも、周りの人たちに励まされ、力を与えてもらいながら突破するのも、悪くはない。

 

 

 

最終試験は、重い荷物を背負った状態で6マイル(約10km)を制限時間内に走破するという、最も過酷な「6マイラー」と呼ばれる試験である。

海兵隊の試験と言えば6マイラーと言われる、最後にして最大の関門だ。

毎年、一番多くの脱落者が出る試験でもあり、残念ながら前年に不合格となった同級生からは、

「とにかく、絶対に!絶対に!諦めるなよ。本当に後悔するから」

と念を押された。

その言葉通り、彼は途中であきらめたことを今も後悔しているらしい。

入隊志願の同級生とともに、他の海兵隊員たちからアドバイスを受けつつ、準備を進める。

 

ここを突破すれば、夢にまで見た、栄えある海兵隊に正式に入隊できる。

憧れの紺色のベレー帽まで、あと少しだ。

 

(後篇に続く)

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