イギリス海兵隊の日々 ~鬼のしごき~

CCF

海兵隊の日々 ~CCFのあれこれ~(前回記事)

洋の東西を問わず、有名なタレントやお笑い芸人を軍に体験入隊させて、鬼軍曹殿から地獄のようなしごきを受ける様子を見て面白がるテレビ企画が存在する。

何を隠そう、私もその手の番組が大好きである。

他人の不幸は蜜の味、とはよく言ったものだ。

鬼軍曹に怒鳴りつけられた芸人が目に涙を浮かべる様子や、体力の限界を超えた走り込みをさせられてヘトヘトになる様子、泥だらけになってほふく前進する姿を、我々視聴者はソファーにだらしなく腰掛け、コーラを飲み、ポテチを食べながら、笑って眺めるのである。

私にとって、この手の番組がひときわ面白く感じられるのは、自分もかつて同じようなしごきを受けたことがあるからである。

革製の軍靴がどれほど走りづらいか、ライフルがどれほど重たいか、重い背嚢を背負いながら泥濘の中を進むのがどれほど苦しいか、私は知っている。

知っているからこそ、彼らがどれほどの苦痛の中にいるか、手に取るように分かる。

そして彼らの苦痛が大きければ大きいほど、私は不幸の「蜜の味」を堪能できるのである。

私はかつて自分自身が経験した苦痛を思い出しつつ、心の中で

「もっと苦しめ~もっと苦しめ~」

と、サド的な快楽を感じながら呪いのように繰り返す。

そんな変態的な快感を密かに楽しむ私であるが、実際に自分が過酷な訓練の只中にあった頃は、蜜の味どころではなく、あまりの苦しさに逆流してきた胃液の味で口の中がいっぱいだった。

 

その日、私はマイクロバスに揺られながら、窓の外に田園風景が流れていくのを眺めていた。

自分がこれから何処へ連れていかれるのか、よく分からない。というのも、中学2年生でイギリスの母校に入学して間もないころ、私は冗談ではなく本当に英語が分からな過ぎて、自分の周囲で何が起きているのか理解できなかったのである。

入学前の準備として数か月の語学学校通いを命じられ、それなりの成績を修めていた私だったが、本場の英語は次元が違いすぎた。

例えが適切かどうかは分からないが、自動車教習所の構内で教官を隣に座らせて手取り足取り教わりながら車を運転していたのが、いきなり一人でF1レースに放り込まれて音速の世界を最高時速で走らされるような感覚だった。

とりあえず、CCFの関連で軍の施設に行く、ということは何となく分かっていた。車内では、ラジオから流れるPOPミュージックに合わせて同級生のミーハーな女子たちがやけにソウルフルに歌っている。この時かかっていた曲は、 “Nelly – Dilemma ft. Kelly Rowland”だった。

日本でいうところの横田基地とかキャンプ座間のような広大な軍施設で車から降ろされると、引率の先生が何やら気になることを言った。

「今のうちに、よーく準備運動しておくように。…特に海兵隊員の諸君はな」

そう言って先生はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。恐怖で足がすくんだ私を残し、先生は去っていった。ほどなくして、部隊ごとに集合が命じられた。

 

陸軍や空軍は集合するとすぐに将校さんに引率されて今日のメニューをこなしに行ったようだが、海兵隊は腕に入れ墨の入った目つきの鋭いものすごく怖い教官2人に体育館のような場所に連れていかれ、体操着に着替えるよう命令された。

どこの国でもそうだと思うが、身体に入れ墨をしているような「いかにも」な軍人さんは、それほど階級が上ではない場合が多い。

特にイギリスのような階級社会では、上級将校は私立学校を卒業したような上流階級のエリート層で占められている。

言い方が正しいのかは分からないが、お坊ちゃま・お嬢ちゃま育ちの上級将校が、下町で育った荒くれ者の兵士たちに上から目線で命令するのだから、兵士たちの心中は推して知るべしだろう。

そんなわけで、これから私立学校のお坊ちゃまたちが、下町育ちの荒くれ教官にどんなことをされるのかは、容易に想像できる。

「俺が何か言ったら、返事は必ず『Yes、教練教官』だ。わかったな」

「Yes、教練教官!!」

昔見た映画『フォレストガンプ』で、同じようなシーンがあったなぁ、なんて呑気に思い出せたのもここまでだった。

この後、上級生が教官殿の質問に「Yes」とだけ答えて

「Yes, What⁉」

とすごまれたのを見て、私は震え上がった。

 

「全員で俺の周りで輪になってランニングを始めろ」

この時、我々海兵隊員は上級生を合わせて20人くらいいただろうか。

教官殿の周りを20人で走るわけだから、大きな輪になった。しかも、結構なハイペースである。私はこの時、転校してきて間もなく、海兵隊での日々も浅かったため、少し運動しただけですぐに息が上がった。

しばらくして、

「何か運動に支障があるような持病がある者は、その場で手を挙げろ」

さて、どうしたものか。

このままジョギングだけで終わるはずもなく、この後の展開は容易に想像できる。逃げ出すなら今しかない。

私は結構本気で、

「ぜんそくがあります!」

と申し出ようかと考えた。

しかし、1つ大きな問題があって、ぜんそくを英語で何というのか分からない。ていうか、そういうことは走り始める前に聞くだろフツー。

ついでに言うと、ぜんそくがあったのは小学生までだったので、厳密にはウソになる。

変に悪目立ちするのも嫌で、結局私は何も言えずに走り続けるしかなかった。そもそも、その場にいた唯一のアジア人だったため、何もしなくても私は目立っていた。

こうなった以上、悪目立ちしないためには、周囲に溶け込むしかない。しかし、このハイペースなランニングに溶け込むのはなかなかハードだ。

「俺が笛を1回吹いたら逆方向に走れ」

「Yes、教練教官!!」

鋭い笛の音が1回響く。いきなり逆方向に走るのは、ペースを乱されることもあって、意外と苦しいものである。笛の音が1回、逆方向。

「俺が2回笛を吹いたら全速力で走れ。次に2回吹いたら元のペースに戻れ」

「Yes、教練教官!」

短い笛の音が2回、全員が全速力で走りだす。数秒後、笛の音が2回、元のペースに戻る。また笛が2回。

こんなことを数回繰り返しているうちに、私は本格的に息が上がってきた。

「笛を3回吹いたらその場でジャンプ」

「Yes、教練教官!」

笛が3回。着地の衝撃で、一瞬身体がぐらついた。

 

ずいぶん長く走っている気がする。

体力の限界はとうに超えている。

 

笛が2回、全速力。

笛が2回、元のペース。

笛が2回、全速力。

笛が2回、元のペース。

笛が1回、逆方向。

笛が3回、ジャンプ。

笛が2回、全速力。

 

胃液が込み上げてきた気がする。一瞬、視界が白くなる。

 

「みんな、がんばれ!」

「あきらめるな!」

上級生たちが、走りながら檄を飛ばす。

それを契機に、皆が口々にお互いへの励ましの言葉を叫ぶ。

私もある種のランナーズハイになっており、

「Come on guys!!」

みたいなことを意味もなく叫んだ気がする。アドレナリンが身体中を駆け巡り、どこにこんな体力が残っていたのかと思うほど、力がみなぎってくる。

 

それにしても、ダッシュの時間が、長い…

早く…

次の、笛…。

 

教練教官殿は、単純に少年たちをいじめているわけではなく、こちらの様子をよく見て、体力の限界すれすれを攻めているような気がした。

停止の合図が出た時、皆顔が赤く、膝に手をついて肩で息をしていたが、脱落者は一人もいなかった。

「5分間の休憩を取れ」

「Yes、教練教官!」

みんなと一緒にロッカールームに戻ってスポーツドリンクを飲んでいると、同級生の一人が

「一口もらっていいかい?」

と尋ねてきた。

「もちろん!」

「ありがとう!」

同じ釜の飯を食うとは、こういうようなことを言うのだろうか。

厳しい訓練を共に励まし合いながら耐えることで、仲間意識というものは生まれるのだろう。

「お疲れ!」

「今のはさすがにきつかったな」

「もうやりたくないね」

隊員同士、笑いながら口々にねぎらいの言葉を掛け合う。私もいつの間にか、海兵隊の同級生たちの輪の中に入っていた。

海兵隊員の同級生たちは、普段の授業ではあまり一緒にならない体育会系のメンバーが多く、私が入隊した当初は何となく部外者扱いされているように感じることがあった。

でも、この日を境に皆と打ち解け、海兵隊の同級生たちが私を仲間として認識してくれるようになったように感じられ、内心とても嬉しかったのを覚えている。

走っている最中は、何度も「もうだめだ」「海兵隊なんか辞めてやる」と思ったが、この後も頑張れそうな気がしてきた。

 

ところで、不思議なことに、この日の昼食にどこで何を食べたのか、全く覚えていない。

午前中にとんでもなくハードなトレーニングをこなして、午後の部もやはりハードな運動をしたのだから、何かしら食べたのは間違いないはずなのだが。

あまりの肉体的苦痛に、記憶が飛んでしまったのだろうか。

 

午後の部は、屋外でアスレチックのような施設を使った訓練である。軍の施設によくある、壁をよじ登ったり、ロープを渡ったり、有刺鉄線の下をほふく前進する、例のアレだ。

 

「例のアレ」(イメージ図)

迷彩服に着替えて集合すると、一人一つずつヘルメットを渡される。

ちなみに午後からは、上級将校風のいくらか優しそうな感じのする軍人さんが担当で、「午前の部は大変だったかな?」と聞いてきて、みんなして「ハハハ」とあいまいに答えた。

海兵隊員は基本的にプライドが高いので、滅多なことでは弱音を吐かない。ただ、「全然大丈夫です」なんて答えようものなら、「地獄のトレーニング第2弾」が始まってしまう危険性を察知していたので、みんなモゴモゴと答えるしかなかった。

今回やることは単純で、障害物が設置されたコースをゴールまで走り切る、それだけである。ただ、障害物が本格的なので、気を抜こうものなら大ケガをする危険がある。

途中にある壁などは、隊員同士で協力し合わないと、登ることはできない。体力とチームプレイを同時に要求される作業だ。

これも残念なことなのだが、個別の障害物が何であって、どのようにクリアしていったのか、今となってはほとんど記憶に残っていない。

鮮明に覚えているのは、体力があまり付いていなかった当時の私は最後の方でヘトヘトになりながらフィニッシュしたのだが、道中みんなが口々に励ましてくれたこと、ゴールした私を迎えた上級生が、がっちりハグしてくれたことだった。

この時の達成感は格別であった。

 

帰りのバスの中で、私はどうせやるなら入隊試験に合格して、正式な海兵隊員になろうと決心した。

こんなに苦しい思いをしたのだから、その経験を無駄にせず、せっかくだから一番かっこいい色のベレー帽をゲットしよう。

最初は何かの間違いで入ってしまった海兵隊だったが、私はこの時、最後までやり抜こうと決めたのだった。

 

体験入隊的な番組を見ると、今でもあの頃の日々を懐かしく思い出す。

問答無用でよみがえってくるのは、意識を失う寸前まで体力の限界に挑んだ地獄の苦しみだが、その苦しみを共に耐え抜いた仲間たちのことも、同じようにはっきりと思い出せる。

体力的には間違いなく人生で最も過酷な時期だったが、仲間と励まし合いながら過ごした時間は、人生で最も充実した日々だったのかもしれない。

そんな日々を思い出すとき、私は本当は「他人の不幸は蜜の味」ではなく、「思い出」という、かけがえのない人生の芳醇な香りを楽しんでいるのだと、そんなふうに思ったりもする。

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