英国パブリックスクールの生活 ~とある1日の流れ~

イギリス
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英国パブリックスクールの生活シリーズ第2弾ということで、今回はとある1日の様子を書いてみたい。

 

我が母校については、通学に関しては8割方が親の送り迎えだったように思う。

その他、少数派として電車通学、徒歩通学の生徒もいたが、大多数は車による送り迎え付きだった。

上の方の学年の生徒の中には、免許を取って自分で車を運転して通学する者もけっこういた。

たしか、イギリスでは17歳から免許の取得が可能だったように記憶している。

私の場合は、母の運転する車で学校まで送り迎えしてもらっていた。

 

学校に着くと、まずは自分の所属する寮に行って荷物を置き、午前中の授業で使う教科書やノートを準備する。

時間になると、各学年のチューターの先生が出席を確認し、連絡事項があればその場で伝達する。

それが済むと、1時間目の授業に向かう。

 

中学生の段階から授業は選択制になっており、時間割は生徒ごとに異なっている。

英語、数学、理科などの必修科目の他は、各自が選んだ教科の勉強をする。

イギリスには「GCSE」という全国統一の中学校卒業試験みたいなものがあって、中学生の間はもっぱらそれに向けて勉強する。

高校になると今度は「GCE」という高校卒業試験みたいなものが控えている。

日本でいうところの「大学入試」という制度は存在せず、大学への入学に際しては、GCSEとGCEの成績、スポーツでの実績、あとは課外活動の成果や生活態度全般等々を総合的に判断されることになる。

 

我が母校には、日本でいうところの「何年何組の教室」というものは存在せず、教科ごとに教室が異なっており、生徒は教科が変わるごとに教室を移動しなくてはならない。

これは海外、特に欧米の学校ではよくあるパターンなのではなかろうか。

当然、それぞれの行き先の教室も異なるので、1時間目に同じ科目がある者同士でつるんで行く。

 

ところで、海外あるある、なのかは定かではないが、なぜかイギリスの生徒たちはカバンを持ち歩きたがらない。

どういうことかというと、教科書やノート類をカバンやリュックに入れず、小脇に抱えて持ち歩く習性があるのである。

「何年何組の教室」というものが存在せず、教科ごとに教室を移動しなければならないことから、持ち歩く教科書類も結構な分量になるのだが、その厚み、重みにもめげず、カバンの使用を頑なに拒否する。

理由はよく分からん。

それが英国紳士・淑女の美意識なのだろうか。

 

教室には、先生から声がかかるまで入室することは許されず、教室の外で歓談しながら待つことになる。

教室に入ってからは、先生によってスタイルがかなり異なっていた。

厳しめの先生になると、先生が「Sit (座れ)」と命令するまで直立不動でいなければならなかったりもするが、そのままダラダラと入室して、いつの間にか授業が始まっているようなケースもある。

席順が決められている授業と、自由に着席できる授業、許可のない発言は許さない先生と、自由な発言を認める先生、実に様々であった。

宿題を忘れたり、先生の怒りに触れたりすると、”Detention”=居残りを命じられることがある。

居残りを命じられると、先生から切符のようなものを渡され、それを居残りが行われる放課後の図書室に持って行き、居残り担当の先生から認証を受けねばならない。

居残りからの逃走はできないシステムなのである。

…という話は、わりと頻繁に居残りを命じられていた同級生から聞いたことである。

私は一度も居残りを食らったことがないので、本当のところは分からないのである(ドヤ顔)。

 

我が母校では、中学校の授業は1コマ35分と、今考えるとずいぶん短かった。

1時間目の授業は8:40スタート、9:15終わり。

10分の休憩をはさんで、9:25から2時間目がスタート、10:00終わり。

先ほども書いたように、教科が変わるたびに大量の教科書類を小脇に抱えて教室を移動しなければならない。

2コマ目の授業が終わった後に、少し長めの休憩があったような、なかったような…。

とまぁ、午前中だけで5コマくらいの授業があって、ようやくお昼休みになる。

 

いったん寮に戻って教科書類を置き、その辺にいる友達と連れ立って昼食に向かう。

昼食はカフェテリアで、日替わりメニューをいただく。

学費に食事代も含まれているので、大学の学食のようにその都度お金を払う必要はない。

お盆をもって列に並び、流れ作業でその日のメニューを受け取っていく。

 

ちなみに我が母校では、金曜日のランチは決まって「フィッシュ・アンド・チップス」であった。

イギリスの料理といえばフィッシュ・アンド・チップス、みたいに言われることもあるが、その実態は何の変哲もない魚のフライと、フライドポテトの組み合わせである。

なぜ魚とジャガイモの組み合わせだけが、国を代表するメニューへと続く栄光の階段を駆け上ったのかは分からない。

魚とジャガイモという組み合わせにも、特別な必然性は無いように思われる。

それは、例えばビーフ・アンド・キャベツでも、チキン・アンド・オニオンでも、何でもよかったのではないか。

魚とジャガイモの組み合わせが特別に美味しいと感じたことはついぞなかったので、ますます謎である。

 

カフェテリアでは、だいたいいつも同じ仲良しメンバーで座ることが多い。

これはまぁ、席順が決められているのでもない限り、古今東西だいたい同じだろう。

その場に居合わせた仲良しグループで座ることが多いのだが、時おり意外なテーブルから声がかかることもあった。

私の場合、学校内で数少ない日本人…というか、当時は日本人は私と姉の2人しかおらず、存在自体が珍しかったためか、女子グループのテーブルから声がかかったり、普段はあまり関わりのないイケイケなグループに呼ばれることもあった。

一緒に連れ立ってカフェテリアに行ったのに、なぜか率先して女子グループのテーブルに収まる不届き者の男子もいた。

ちなみに、暗黙のルールで、先生たちのテーブルに生徒が座ることはなった。

 

ランチが終わると、午後の授業が始まるまで自由時間である。

私の所属する寮の部屋には、級友が持ち込んだニンテンドー64があったため、昼休みはマリオカート大会になることが多かった。

それ以外は、談話室に卓球台が置いてあったため卓球をしたり、テニスをしたり、校庭の芝生に寝転んだり、恋人のいる者は学校のどこかで密会したり、思い思いの休み時間を過ごす。

 

午後の授業も、流れは午前中と同じである。

授業がすべて終了すると放課後の時間となり、日本の学校でいうところの「部活」の時間である。

日本では自分の希望する部活に所属するが、私の学校ではどちらかというと選抜に近く、何かのチームや活動のメンバーに選ばれると、半ば強制的に参加させられた。

課外活動としては、スポーツ、音楽、演劇、若者ビジネスなどが主流だった。

「若者ビジネス」とは耳慣れない言葉であるが、私も今回初めて使った。

正式名称は “Young Enterprise” で、日本でいうところの学生起業家コンテスト、みたいなものだろうか。

商品の企画からマーケティング、宣伝から販売まで、すべてのビジネス工程を学生グループが担い、その結果を全国で競い合うというものだ。

 

授業との関連では、放課後に「クリニック」というものが開講されており、授業で分からなかったことや自分で問題を解いていて分からなかった部分を先生に質問できる。

要するに「補講」のことである。

私は最初のころ、物理の「クリニック」によく参加していたのだが、いつもは厳しい先生が意外なくらい柔和な教え方をしてくれたのを覚えている。

我が母校には「職員室」というものがなく、教科ごとに分かれた建物があって、先生は普段自分の研究室にいることが多かった。

ただ、許可なく先生の部屋を訪ねて気軽に質問するといったことができなかったので、分からないことがある場合はクリニックの機会を利用するのが重要だった。

 

金曜日の午後は、中学校の全生徒が強制参加させられ、高校生については任意の参加である「CCF」という軍事訓練に充てられていた。

CCFについては、別の記事で詳しく説明しているので、ここでは割愛する。

 

曜日によって多少の変化はあるものの、私の母校ではだいたいこんな感じで1日が過ぎていった。

こうやって思い出しながら書いてみると、なかなか内容の濃い1日である。

私は最初のころは授業についていくのがやっとで、なかなか課外活動に参加する余裕が無かったが、2年目からは余裕が出てきて、色々なことに手を出すようになった。

そのことについては、また稿を改めて書くことにしよう。

 

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