イギリス海兵隊の日々 ~始まり~

CCF
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私は中学2年生に上がるのと同時に、紳士淑女の国と呼ばれるイギリスに渡航し、そこで2年半ほど暮らした。

学校は現地の私立校、いわゆる「パブリックスクール」に通っていたのだが、イギリスの私立校では「CCF」という課外活動が、授業とは別にカリキュラムに組み込まれている。

CCFとは、“Combined Cadet Force”の略だそうだが、いまだに何のことかよく分からん。簡単に言うと、「軍事教育」である。

男女関係なく、中学1年生以上の生徒はみな迷彩服を着て、行進の仕方やら武器の扱い方、戦場における基本的な作戦行動を教わるのである。

もちろん武器は本物で、射撃場では実弾射撃も行う。念のために言うと、「実弾」とは本物の銃弾のことで、戦場で実際に敵を撃つために使われる正真正銘の兵器である。

それまで戦争の放棄を謳った平和憲法を戴く日本で生活していた私にとって、少年少女がカモフラージュ柄の軍服に身を包んで行進する姿はまことに異様であり、恐怖ですらあった。ましてや本物の兵器を扱うなんて、狂気の沙汰である。

当時の私の頭には、

軍隊=戦争=破壊=野蛮=恐怖

という単純な図式しかなかったのである。こともあろうに、イギリスは自他ともに認める紳士淑女の国である。こんな野蛮がまかり通って良いはずがない。

 

CCFの意義としては、責任感や規律、忍耐力、集団行動の習得、困難な状況への対応、リーダーシップの育成等々があるらしい。

言われてみれば、私立学校に通うエリート、つまり将来イギリス国家を背負って立つ選良たちに対しては、有事の際は真っ先に国民の先頭に立ち、国を守るために奉仕する責任感が必要なのだという主張にも一理ある。

この記事を書くにあたって少し調べてみたのだが、CCFの活動については国防省が正式なスポンサーになっているそうだ。

毎週、本物の軍人さんたちがわざわざ学校まで教えに来てくれるのだが、当時はボランティアで来てくれているのだろうと思っていた。ちゃんと国防省からお給料をもらっていたらしい。

ついでに将来の幹部候補生の青田買いができれば、向こうにとってもメリットがあるのだろう。

そして我が母校からも一定数、CCFでの活動を経て、軍の幹部候補生として就職していった卒業生が出ている。

さて、リーダーシップだの責任感だの忍耐力だのはどうでもよく、ましてや日本人である自分にイギリス国家のために奉仕する義務もなく、少年少女への軍事教育という狂気に恐れおののいていた私は、なんとかCCFを免除してもらえないか、あの手この手を駆使して担当教官に頼み込もうと画策した。

外国人だから、というのは一見もっともらしく聞こえるが、実はまったく理由になっていない。

宗教を盾にするのが、相手に有無を言わせない最強の手段に思われたが、すぐにバレそうな気がするし、神の怒りに触れてなにがしかの祟りに遭うのも怖い。

病気があるから、というのも至極まっとうな理由だが、まずいことにぜんそくの発作は小学5年生以降起きていない。

結局、うまい理由が思い付かず、私は素直に

「CCFをやらなくて済む方法はありますか」

と悲しくなるほどストレートに聞いた。

「ありません」

 

 

さて、そうなると問題は、いかにラクをして切り抜けるかである。

我が母校のCCFは、

  • 陸軍
  • 海軍
  • 空軍
  • 海兵隊

という4つの組織で構成されていた。

私は「海軍」と「海兵隊」の違いが分からなかったのだが、海軍が海上での作戦を担当するのに対し、海兵隊は主に敵陣地への上陸作戦や奇襲作戦を担当する、海軍直属の特殊部隊である。

海兵隊という名称ながら、その性格上、陸地での作戦行動が多い。そして最も過酷な作戦を遂行するため、訓練も熾烈を極める。

私が滞在していた当時、イギリス全土でも海兵隊を擁する学校は8校しかなく、なかなかに希少性が高かった。

とりあえず、4つの中で一番ラクなところを選ぶのが目下の課題となった。

陸軍はイメージからしていかにもキツそうなので、すぐさま却下。精神注入棒で殴られたらたまらん。

空軍は飛行機やヘリコプターに乗ることもあるらしく、ものすごく危なそうなので却下。イギリスの空に散るのは御免である。

海兵隊はメチャクチャ過酷だと聞いていたので論外。私はそこまでマゾじゃない。

その一方、海軍は水兵さんの制服がかっこいいし、訓練もそれほどキツくなさそうなイメージである。

というわけで、消去法で海軍に決定。私は海軍に志願した。

…つもりだった。

 

ここで英語のお勉強。

海軍は英語で「NAVY」、海兵隊は「MARINES」という。

当時の私は、

「NAVY、なんじゃそりゃ?よく分からん」

「MARINESって、“マリンスポーツ”とかの“マリン”だよな。よし」

MARINES→マリン→マリンスポーツ→海→海軍

以上のような図式が当時の私の頭にあった。

この図式に従い、私はMARINESに願書を提出して、海軍に志願したつもりになっていたのである。

要するに、一番ラクな海軍を選んだつもりが、そうとは気付かず、あろうことか一番過酷な海兵隊を選んでいたのである。

 

初めてのCCFの日。

MARINESの集合場所に行くと、迷彩服を着た屈強な男どもが、整列して装備品の点検をしていた。

なぜ海軍なのに迷彩服を着ているのだろう、セーラー服じゃないのかよ、という違和感を覚えたが、まぁそういうもんだろうとあまり気にしかなった。

大胸筋がくっきり浮き出たコワモテの上級生に、MARINESに入隊したい旨を伝えると、

「ようこそMARINESへ。MARINESは大変だけど、一緒に頑張ろう」

と言ってくれた。

なんで一番ラクなはずの海軍が大変なのか、かすかな違和感を覚えたが、あまり気にしなかった。

装備品の点検を終えた隊員たちに、恭しくライフルが手渡されていく。

なんで海軍なのにライフルなのか、違和感を覚えたが、そういうもんだろうと大して気にしなかった。

 

こうして、私の海兵隊での日々が始まった。

 

海兵隊の日々 ~CCFのあれこれ~ (次回の記事)

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